『乳がん体験記(5) 麻酔から覚めて』 [乳がん体験記]
このページは『乳がん体験記(4) 手術』の続きのページです。
【注】----------------------------------------------------------------------------------
このページは普段のブログ記事とは分けて、「体験記」として過去の出来事を書きました。 ふじくろは1回目の手術が2000年、2回目の手術が2003年と、 かなり年月が経ってしまいました。 この体験記にでてくる情報はかなり古い情報もあり、現在の医療現場では、あてはまらない場合があることもご了承ください。 また、同じ乳がんでも、受ける治療は様々であることをご理解ください。
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2000.1.13(木) 雨
手術翌日。
立って歩けるようになったけど、すり足でゆっくりしか進めない。
2000.1.14(金) 晴れ
昨晩痛くて眠れなかったため、痛み止めをもらう。
リハビリの1日目。
2000.1.15(土) 曇り/晴れ
ドレーンを付け替えた。(今となってはこのときなぜ付け替えたのかうろ覚えなのですが、たしかあまりの強烈な痛みを訴えたので、付け替えてくださったような気がします。)
夕方にまた痛み。
ドレーンって何?と、思われた方に。
リンパ液や血液を体の外に排出するためのものです。
[画像は名古屋大学医学部付属病院 乳腺・内分泌外科のHPから勝手にお借りしてしまいました。関係者の皆様ごめんなさい。]
2000.1.16(日) 曇り
少し楽になったけど、4日続けて眠れなかったので最悪の気分。
今日からムコスタ錠100mgを3錠とケフラールカプセル25mgを3カプセル。
2000.1.17(月) 雨
ドレーンのチューブが刺さったところが痛い。
2000.1.19(水) 曇り
ドレーンのチューブを抜いて、楽になった。
抜くのは処置室で先生が、力任せにエイって一気に引き抜きます。
もちろん麻酔などはしません。
「すごく痛かった」という方や「殆ど痛くなかった」という方で、様々でした。
自分がどうだったのかは失念してしまいました。(^◇^;)
ちなみに手術の1年7ヶ月後に撮った写真ですが、抜いたあとはこのようになっています。
(左胸を左側から撮った写真で、赤矢印のところが抜いたあとです)
2000.1.20(木) 晴れ
脇にリンパ液や血液が溜まっているので、注射器で抜く。
このあと、この体液抜きがかなりの長い期間にわたってしまったことは、この時点では知る由もなかったです。
手術でできた空洞がくっつかない(閉じない)ので、そこに液が溜まってしまって長期間苦労しました。(T_T)
2000.1.22(土) 晴れ
Dr. M(主治医ではありません)に液がいつまでも溜まることについて質問しました。
そのときの説明の中で、脇のリンパ節にもがんが転移していたことを初めて知りました。
「たぶん、化学療法(抗がん剤)をすることになるだろう」と。
このとき、告知されて以来激しく動揺しました。
まだ乳がんについての知識が殆どなく「早期発見なら手術で治る」と思っていたのです。
たしかどこかにそんなことが書いてあったような....
「自分はしこりに気づいてすぐに病院に行ったのだから、”早期発見”で手術だけで治るはず。 しこりだって2cmと言われたし...」と勝手に楽観的に考えていました。
「化学療法が必要? 私のがんはどのくらい悪いの? 早期じゃないの?」
頭が大混乱して何がなんだかわからなくなってしまいました。(;>_<;)
2000.1.24(月) 晴れ
退院。(*^ー^*)
たった20日間の入院でしたが、すっかり病院暮らしに慣れてしまって、家に帰っても「よそのお家」に連れてこられた感覚でした。
ぎこちなく居間のソファに腰掛けて、部屋を見回したのを覚えています。
「ふーん、我が家はこんなだったんだー」みたいなかんじでした。
[手術後の痛み]
入院中はとにかく脇や肩甲骨のあたりが痛くて痛くて....
「わぁー!!」って声を上げるほど痛かったのですが、6人部屋でほかの患者さんのご迷惑になるので、
深夜には1F(受付のあるところで誰もいない)まで行って、柱を蹴飛ばしながら暴れていました。
痛み止めを飲んでも、あまり効かなかったです。
医師に訴えても「気のせい」などと言われていました。
人生で体験した最高の痛みが5、全く痛みを感じないのが0とすると、
入院中は夜となく昼となく、2〜4の痛みでした。
(ちなみに5の痛みは、陣痛促進剤による出産の時の痛みでした。)
包丁で指を切った時のような、(手術の)傷そのものが痛いのではなく、脇を中心にもっと広い範囲にわたって激しい痛みでした。
表面ではなくて、深いところにズキーンと来る痛みです。
あまりの痛さに、怒りすら感じていました。
[乳房の変形]
手術後から数日は胸にぐるぐる巻きにした包帯をしていて、手術跡を見ることはできません。
退院までの間に先生が外してくれて、初めて自分の胸がどうなったかを知ることができます。
ふじくろの場合は、温存手術でそれほど乳房の形は変わっていませんでした。
手術前の説明で「たぶんそんなに(形は)変わらないと思う。」といわれていて、その通りになりました。
なので、特に動揺などもありませんでした。
同じ温存手術でも、(ご本人の)想定外の変形があったときや、
全適(乳房切除術)のときには乳房そのものがなくなってしまうので、ショックが大きい方もいらっしゃるそうです。
[入院中に出会った方々]
ふじくろの入院した部屋の隣は個室でした。
そこに30代の乳がんが骨に転移した患者さんが入院されていました。
彼女は寝たままの状態でしたので、直接お話ししたりはしてないのですが、
別の患者さんを通して状況はおおよそわかっていました。
お子さん(男の子)がふじくろの娘と同じ小学校6年生だったので、とても気になっていました。
数日後の夜、看護師さんや医師がばたばたと慌ただしく廊下を行き来しました。
親戚と思われる方も続々と個室に集まってきました。
主治医が白衣のすそをひるがえしながら、急いで病室に入っていきました。
やがて個室から「ママぁ〜〜、ママぁ〜〜!!」というご主人とお子さんの声が響いて、
数分の沈黙の後、堰を切ったような嗚咽が部屋から漏れてきました。
お子さんは「なんでもっと早く来てくれなかったの!!」と叫び、主治医の先生に向かって飛びかからんばかりの勢いでした。
「先生が早く来てくれれば、ママは助かった。」と思っていることが伝わってきました。
まだ、小学生ですから無理もないと思います....
ご主人が「そんなこというもんじゃないよ、先生たちは一生懸命してくださったんだよ。」と、諭している声が聞こえました。
このことはいまだに忘れることができない出来事でした。
また別の方で、ふじくろと同じお部屋に入院されていた方のことも忘れられません。
50代の乳がんが肝臓に転移した女性でした。
ふじくろの手術のことも気にしてくださって、いろいろ助言もいただきました。
やがて容態がみるみる悪化して、ナースステーション隣の病室に移り、
数日後、個室に移られました。
そのときちょうど偶然、廊下でストレッチャーに乗せられた彼女とすれ違いました。
仰向けに顔の上の空間を見るともなく見開いた目は、白目が黄色くなっていました。
かなりつらそうな表情をされていました。
彼女の言葉ではっきりと耳に残っていることがあります。
(ご自身のしこりが)「2cmでみつかったのにどうして....」
そして「乳がんを甘くみちゃだめよ。」と。
しばらくして彼女が逝去されたことをしりました。
お2人のご冥福をお祈りします。
同室になった同じ乳がんの患者さんたちとは、よく笑いながらお話ししました。
今思うと、妙にハイテンションだったような気がします。(^^)
回診にみえた先生達に、皆で軽口をたたいたり冗談を飛ばしたりして....(^◇^;)
このときにお世話になった方々、ありがとうございました。
そんなわけで、入院中は”混乱”、”怒り”、”笑い”が渦巻く不思議な日常でありました。
【ブログについて】
体験記に絞って読まれる場合、コメントする場合、トラックバックする場合;
『乳がん体験記(0) はじめに』をお読みください。
更新:2009.01.04
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乳がん 乳ガン 乳癌 手術 痛み 入院
続きは、こちら
『乳がん体験記(6) 病理の結果』
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2000.1.13(木) 雨
手術翌日。
立って歩けるようになったけど、すり足でゆっくりしか進めない。
2000.1.14(金) 晴れ
昨晩痛くて眠れなかったため、痛み止めをもらう。
リハビリの1日目。
2000.1.15(土) 曇り/晴れ
ドレーンを付け替えた。(今となってはこのときなぜ付け替えたのかうろ覚えなのですが、たしかあまりの強烈な痛みを訴えたので、付け替えてくださったような気がします。)
夕方にまた痛み。
ドレーンって何?と、思われた方に。
リンパ液や血液を体の外に排出するためのものです。
[画像は名古屋大学医学部付属病院 乳腺・内分泌外科のHPから勝手にお借りしてしまいました。関係者の皆様ごめんなさい。]
2000.1.16(日) 曇り
少し楽になったけど、4日続けて眠れなかったので最悪の気分。
今日からムコスタ錠100mgを3錠とケフラールカプセル25mgを3カプセル。
2000.1.17(月) 雨
ドレーンのチューブが刺さったところが痛い。
2000.1.19(水) 曇り
ドレーンのチューブを抜いて、楽になった。
抜くのは処置室で先生が、力任せにエイって一気に引き抜きます。
もちろん麻酔などはしません。
「すごく痛かった」という方や「殆ど痛くなかった」という方で、様々でした。
自分がどうだったのかは失念してしまいました。(^◇^;)
ちなみに手術の1年7ヶ月後に撮った写真ですが、抜いたあとはこのようになっています。
(左胸を左側から撮った写真で、赤矢印のところが抜いたあとです)
2000.1.20(木) 晴れ
脇にリンパ液や血液が溜まっているので、注射器で抜く。
このあと、この体液抜きがかなりの長い期間にわたってしまったことは、この時点では知る由もなかったです。
手術でできた空洞がくっつかない(閉じない)ので、そこに液が溜まってしまって長期間苦労しました。(T_T)
2000.1.22(土) 晴れ
Dr. M(主治医ではありません)に液がいつまでも溜まることについて質問しました。
そのときの説明の中で、脇のリンパ節にもがんが転移していたことを初めて知りました。
「たぶん、化学療法(抗がん剤)をすることになるだろう」と。
このとき、告知されて以来激しく動揺しました。
まだ乳がんについての知識が殆どなく「早期発見なら手術で治る」と思っていたのです。
たしかどこかにそんなことが書いてあったような....
「自分はしこりに気づいてすぐに病院に行ったのだから、”早期発見”で手術だけで治るはず。 しこりだって2cmと言われたし...」と勝手に楽観的に考えていました。
「化学療法が必要? 私のがんはどのくらい悪いの? 早期じゃないの?」
頭が大混乱して何がなんだかわからなくなってしまいました。(;>_<;)
2000.1.24(月) 晴れ
退院。(*^ー^*)
たった20日間の入院でしたが、すっかり病院暮らしに慣れてしまって、家に帰っても「よそのお家」に連れてこられた感覚でした。
ぎこちなく居間のソファに腰掛けて、部屋を見回したのを覚えています。
「ふーん、我が家はこんなだったんだー」みたいなかんじでした。
[手術後の痛み]
入院中はとにかく脇や肩甲骨のあたりが痛くて痛くて....
「わぁー!!」って声を上げるほど痛かったのですが、6人部屋でほかの患者さんのご迷惑になるので、
深夜には1F(受付のあるところで誰もいない)まで行って、柱を蹴飛ばしながら暴れていました。
痛み止めを飲んでも、あまり効かなかったです。
医師に訴えても「気のせい」などと言われていました。
人生で体験した最高の痛みが5、全く痛みを感じないのが0とすると、
入院中は夜となく昼となく、2〜4の痛みでした。
(ちなみに5の痛みは、陣痛促進剤による出産の時の痛みでした。)
包丁で指を切った時のような、(手術の)傷そのものが痛いのではなく、脇を中心にもっと広い範囲にわたって激しい痛みでした。
表面ではなくて、深いところにズキーンと来る痛みです。
あまりの痛さに、怒りすら感じていました。
[乳房の変形]
手術後から数日は胸にぐるぐる巻きにした包帯をしていて、手術跡を見ることはできません。
退院までの間に先生が外してくれて、初めて自分の胸がどうなったかを知ることができます。
ふじくろの場合は、温存手術でそれほど乳房の形は変わっていませんでした。
手術前の説明で「たぶんそんなに(形は)変わらないと思う。」といわれていて、その通りになりました。
なので、特に動揺などもありませんでした。
同じ温存手術でも、(ご本人の)想定外の変形があったときや、
全適(乳房切除術)のときには乳房そのものがなくなってしまうので、ショックが大きい方もいらっしゃるそうです。
[入院中に出会った方々]
ふじくろの入院した部屋の隣は個室でした。
そこに30代の乳がんが骨に転移した患者さんが入院されていました。
彼女は寝たままの状態でしたので、直接お話ししたりはしてないのですが、
別の患者さんを通して状況はおおよそわかっていました。
お子さん(男の子)がふじくろの娘と同じ小学校6年生だったので、とても気になっていました。
数日後の夜、看護師さんや医師がばたばたと慌ただしく廊下を行き来しました。
親戚と思われる方も続々と個室に集まってきました。
主治医が白衣のすそをひるがえしながら、急いで病室に入っていきました。
やがて個室から「ママぁ〜〜、ママぁ〜〜!!」というご主人とお子さんの声が響いて、
数分の沈黙の後、堰を切ったような嗚咽が部屋から漏れてきました。
お子さんは「なんでもっと早く来てくれなかったの!!」と叫び、主治医の先生に向かって飛びかからんばかりの勢いでした。
「先生が早く来てくれれば、ママは助かった。」と思っていることが伝わってきました。
まだ、小学生ですから無理もないと思います....
ご主人が「そんなこというもんじゃないよ、先生たちは一生懸命してくださったんだよ。」と、諭している声が聞こえました。
このことはいまだに忘れることができない出来事でした。
また別の方で、ふじくろと同じお部屋に入院されていた方のことも忘れられません。
50代の乳がんが肝臓に転移した女性でした。
ふじくろの手術のことも気にしてくださって、いろいろ助言もいただきました。
やがて容態がみるみる悪化して、ナースステーション隣の病室に移り、
数日後、個室に移られました。
そのときちょうど偶然、廊下でストレッチャーに乗せられた彼女とすれ違いました。
仰向けに顔の上の空間を見るともなく見開いた目は、白目が黄色くなっていました。
かなりつらそうな表情をされていました。
彼女の言葉ではっきりと耳に残っていることがあります。
(ご自身のしこりが)「2cmでみつかったのにどうして....」
そして「乳がんを甘くみちゃだめよ。」と。
しばらくして彼女が逝去されたことをしりました。
お2人のご冥福をお祈りします。
同室になった同じ乳がんの患者さんたちとは、よく笑いながらお話ししました。
今思うと、妙にハイテンションだったような気がします。(^^)
回診にみえた先生達に、皆で軽口をたたいたり冗談を飛ばしたりして....(^◇^;)
このときにお世話になった方々、ありがとうございました。
そんなわけで、入院中は”混乱”、”怒り”、”笑い”が渦巻く不思議な日常でありました。
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『乳がん体験記(6) 病理の結果』
こんにちは。^^
ヤッパリ可也の痛みとの闘いだったのですね。
疼痛治療については、今でこそペインクリニックなども有るようですが、精神論の好きな国民性?我慢しなさい・・が多い様に聞いています。
これは看護の側での問題?
知ってみると、怯みそうな状況が伝わってきます。^^;
by keykun (2009-01-04 11:59)
↑ たぶん「2番目」に `nice!` をクリックしたのですが、
またまた `nice!` が入りません。。(涙)
って書くと、また何もしないでも入ってるんだなぁぁ。。
頼まれてもしたくない貴重な経験をなさいましたね。
良く、何か困難があった時、「勉強と思って前向きに立ち向かいましょう」
などとも言いますが、ふじくろさんの場合は、まさに「命」かかっちゃってますしね。
でも。
人間生きていれば、
誰だって、
何時だって、
ふじくろさんの立場になることは充分あり得ることで、
決して他人事では無いのですよね。
by 向日葵 (2009-01-04 14:29)
>>keykunさん
そうですねー、痛みは人それぞれだと思いますが、ふじくろはかなり痛かったです。でも、3年後の2回目の手術は痛くありませんでした。(いつか体験談にも書こうと思っています。)
「我慢しなさい」と言われたことはなくて、また自分でも我慢するつもりも全くなかったのですが、「気のせい」などと言われてしまうので、結果的には痛みとの戦いでした。(T_T)
>>向日葵さん
乳がんになったこと自体は、とても素晴しい経験だと思っています。
心から「乳がんでよかった!」と思っていますが、痛みはNo, Thank you.です。
おっしゃる通りいつでも誰でも同じことになる可能性はありますよね。
ふじくろも、いつ心臓病や脳卒中になるかもしれず、大腸がんや子宮がんになるかもしれませんしね。(^^)
>>miopapaさん
niceありがとうございました。
by ふじくろ (2009-01-04 19:41)
>>rikuさん
niceありがとうございました。
by ふじくろ (2009-01-05 00:50)
貴重な体験談
ひとりの病気は
家族の病気なんだなと・・・
書いてくださってありがとうございました。
by rira (2009-01-05 10:04)
>>riraさん
そうですね、家族...特に幼い子供にとっての親の死は、どんなふうに心に刻まれていくのか想像することもできません。
>>pekorin23さん
niceありがとうございました。
by ふじくろ (2009-01-05 17:20)
つらい体験ですね。
でも同じ体験をされている方には
励みになることも多いと思います。
早期発見が大事なのが伝わってきます。
今年もよろしくお願いします(^_^)
by ぽんこ (2009-01-06 16:01)
>>ぽんこさん
昔乳がんのことをネットで調べだした頃、多くの方の体験談に救われました。
9年も経ってしまって今更ですが、自分も少しずつ書いていきたいです。(^^)
ぽんこさんにも何かが伝わったみたいでうれしいです!
今年もよろしくお願いします。
by ふじくろ (2009-01-06 22:17)
はじめまして。(~_~)
私も昨年、乳がんになり今治療中です。
検索してたら、ふじくろさんのブログを見つけました。
痛みわかります(ノ△・。)
ものすごい痛みでした。手術の痛みはすごいですね。。
私もまだ治療は続くので、ふじくろさんの記事を読ませてもらいますね。
by minaka.707 (2009-01-08 03:21)
>>minaka.707さん
はじめまして、こんにちわ。
昨年に手術でしたか、たいへんでしたね。
ふじくろの痛みがわかってもらえて嬉しいです。(^◇^;)
この記事は9年前の出来事で、現在では当てはまらないこともいろいろあるかと思いますが、ご訪問いただいてとても嬉しいです。
「読むだけ」でも[nice][コメント]でも、ご自由にいつでもどうぞ。(*^ー^*)
by ふじくろ (2009-01-08 18:08)
たんたんと書かれていますが、その裏には深い気持の揺れ動きや、痛みや苦しみがあったものと推察いたします。きっとご家族の皆さんも。。。
書いて下さって、ありがとうございますm(_ _)m
by duke (2009-01-11 01:17)
>>dukeさん
ご明察のとおりです。(*^ー^*)
入院中の様々な出来事は、とても深く心に刻まれました。
全て書くととてつもなく長くなりそうな貴重な体験をすることができました。
こちらこそ、読んでくださってありがとうございました。(^^)
by ふじくろ (2009-01-11 13:51)